牧師さんのノート07: 「平和の乗り物」
私は矢板ホーリネス教会の牧師、田中敏信です。
今回は、「平和の乗り物」というタイトルをつけました。私は、広島県の山間部で生まれ育ちました。小学校1年生くらいだったと思いますが、手先の器用な兄が「乗り物」を作ってくれたのを覚えています。
庭の隅にころがっていた丸太んぼうをのこぎりで輪切りにして、タイヤを四つつくりました。物置にあった木箱にそのタイヤを取り付けます。前輪は、ちょっと工夫を凝らして取り付け、車軸に取り付けた紐の引き方で、進む方向をかえられる。この箱の中に乗り込んで、坂道を走り下るのです。
これが、とてもおもしろい。舗装されていない坂道を、ころがっている石をかわしながら駆け下る。紐の引き方、ハンドルのきり方を失敗すると、大根畑に飛び込むか、小川にはまり込むか・・。近所の友達と競争しました。負けました。なんと彼の愛車は特別にチューンナップされていました。タイヤの車軸に油がさしてあり、土ぼこりを舞い上げて駆け下る。しかもハンドルさばきが、うまい。
悲しい思い出が一つ。「よぉし、今度は!」と練習していた時です。畑の間の坂道を駆け下り、少し広い道路への出口です。でこぼこしていて、お椀をふせたくらいの石が、道路の真ん中に飛び出ていました。よけ切れなくて、愛車の右前輪が乗り上げた。その瞬間です。丸太んぼうを輪切りにして作った車輪は、音も立てずに二つに割れました。重い足取りで愛車を引いて帰り、物置の隅にこっそり片付けたのを覚えています。私が中学生のころでした。道路がアスファルトで舗装されました。すぐに思い浮かべました。「こんなきれいな道路で、あのレースをしてみたいなあ。私の愛車を壊した、あのにくらしい石の出っ張りもないし・・。これならスピードも出るぞ!」
少年達が乗った木箱のスポーツカーが風を切る。カーブのインコースを突いて私が前に出る。「今度はぼくが先だぞ!」そんな光景を目に浮かべた瞬間です。本物の自動車が2台、坂道を駆け上って来ました。ため息が漏れてしまいました。あの時の「平和の乗り物」は、もうこの道では乗れない。石畳の坂道を、大勢の人が囲みます。下から、賛美歌を歌いながら登って来る人々がいます。その中ほどには、「ろばの子」に乗った人が見える。坂道の上には、大きく開いた都の門。登る人々は、口々に叫びます。『ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。』
「ろばの子」に乗っておられるのは、イエス・キリスト。神の国の福音を、3年半にわたって人々に教えられた後、都エルサレムに来られたのです。人々は、この時イエス・キリストを「王様」として、喜んで迎えました。長い間待ちわびていた王様、救い主として。ところで王様の乗り物が、どうして「ろばの子」なのでしょうか。2000年もの昔ですから、高級車リムジンではないとしても、王様の乗り物なら「馬」ですよね。しかしイエス・キリストは、弟子達に「ろばの子」を連れて来るように言われ、それにお乗りになった。
馬に乗る王様のイメージは、やはり「勇ましい王様」・「強い王様」・「戦いの王様」でしょうね。なんといっても「馬」は、かっこいい。
それに比べて「ろば」は、庶民の乗り物です。足も短く背も低い。泣き声ときたら、自動車のクラクションが壊れたような「ベェ〜」という音?声?「なあんだ。この王様、かっこわるぅい」と言われそうです。
イエス・キリストは、戦う王様・人を蹴散らして進む王様ではありませんでした。平和の乗り物「ろばの子」に乗り、平和を造り出すために来られました。日差しが暖かくなり草花が芽吹き始めた、春の日曜日の事でした。命を狙う人々が待ち構える都エルサレムに、「ろばの子」に乗って、平和の王が入って行かれました。その週の金曜日には、十字架が待つ都に。
↑前のノートページ06に | ↓次のノートページ08に |
「牧師さんのノート」のバックナンバーに | 矢板ホーリネス教会のトップページに |